東京高等裁判所 平成10年(行コ)190号 判決 1999年11月30日
控訴人 益永利明
被控訴人 東京拘置所長 ほか一名
代理人 小原一人、白井ときわ ほか三名
主文
一 本件控訴をいずれも棄却する。
二 控訴費用は控訴人の負担とする。
事実及び理由
第一当事者の求めた裁判
一 控訴人
1 原判決を取り消す。
2 被控訴人東京拘置所長(以下「被控訴人所長」という。)が、平成九年四月八日、益永陽子から控訴人に対する現金一〇〇〇円の郵送差入れ(以下「本件差入れ」という。)についてした差入許可取消処分(以下「本件差入許可取消処分」という。)を取り消す。
3 被控訴人国は、控訴人に対し、金五万円及びこれに対する平成九年四月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、第一、二審とも、被控訴人らの負担とする。
二 被控訴人ら
主文同旨。
第二事案の概要
争いのない事実等、争点及び当事者の主張など事案の概要は、次のとおり付加するほかは、原判決の「事実及び理由」中「第二 事案の概要」欄記載のとおりであるから、これを引用する。
一 控訴人の当審における主張
1 監獄法五三条一項の差入許可は、外部から在監者に対する金品授受の一般的禁止を特定の場合に解除し、人が他人との間で金品を授受する本来の自由を回復する処分である。そして、差入申請と差入れ(差入対象物授受行為)は、法律上別個の行為であり、差入屋を通じて行う弁当の差入れ等の例からしても、差入申請は、その対象物を添付して行うことを法律上要するものではないことが明らかである。
したがって、本件差入許可取消処分の取消判決が確定した場合には、本件差入れを許可する処分の効力が回復し、その結果、益永陽子が本件差入れに係る現金一〇〇〇円を控訴人に差し入れる行為(差入対象物授受行為)は、新たな差入申請ではなく、右許可処分により回復された自由の行使に当たるので、被控訴人所長は、これを拒む権限を有しないと解すべきである。
したがって、控訴人は、本件差入れに係る現金が益永陽子の手元にある場合においても、本件差入許可取消処分の取消しを求める訴えの利益を有する。
また、本件差入れに係る現金一〇〇〇円は、平成一一年一月二一日益永陽子から被控訴人所長に返送されており、現在同所長が占有しているのであるから、この点から考えても、訴えの利益が肯定されるべきである。
2 控訴人は、本件差入許可取消処分及び本件差入れに係る現金一〇〇〇円の返戻行為により、適法に取得した右現金の占有を失い、以下の損害を受けたが、右損害を慰藉するには金五万円の損害賠償が認められるべきである。
(一) 右現金を使用する利益の享受を妨害された。そして、一〇〇〇円は、収入の乏しい控訴人にとっては、決して少ない額ではなく、これを使用できなかったことにより受けた精神的、身体的苦痛について相当の賠償がされるべきである。
(二) 益永陽子との心情の交流による精神的利益の享受を妨害された。たとえ、右現金の差入れの事実を知ったとしても、これを占有、使用し、かつ、差入れの事実を直接感じることができる本件封筒を占有できなければ、本件差入れに託された益永陽子の愛情を味わう精神的利益を完全に享受することはできない。
(三) 右現金の占有を回復するため、本件差入許可取消処分の取消訴訟を提起し、追行して権利回復をせざるを得なくなったところ、これを弁護士に依頼すれば少なくともその費用が二〇万円は下らないのであるから、控訴人は右費用相当額の経済的価値を有する仕事をせざるを得なくなったのであるから、右二〇万円を損害に含めるのが相当である。
二 控訴人の主張に対する被控訴人らの認否
一1、2は争う。
なお、益永陽子は、平成一一年一月二一日、被控訴人所長に対し現金三〇〇〇円を送付したが、右送付された現金三〇〇〇円と本件差入れに係る現金一〇〇〇円との関係は不明である。
そして、被控訴人所長は、同月二九日、右現金三〇〇〇円を現金書留郵便をもって金品返戻通知書を添えて益永陽子宛に返送したところ、同年二月一日、当該現金書留郵便が開封されないまま返送されたので、被控訴人らは、同年三月三一日、当該現金三〇〇〇円を民法四九四条の規定に基づき、同人を被供託者として前橋地方法務局に供託する手続をしており、現在、右現金三〇〇〇円は、東京拘置所に保管されていない。
また、益永陽子は、控訴人と外部交通を原則として認めない相手方に当たるので、控訴人は、本件差入れに係る現金一〇〇〇円を法律上受け取り得ない地位にあり、右現金一〇〇〇円の占有を失ったとしても、その法的利益は侵害されない。
第三当裁判所の判断
一 当裁判所も、控訴人の本件訴えのうち、被控訴人所長に対する訴えは不適法であり、被控訴人国に対する訴えに係る請求は理由がないと判断するが、その理由は、次のとおり付加訂正するほかは、原判決「事実及び理由」中の「第三 争点に対する判断」欄記載のとおりであるので、これを引用する。
(原判決の訂正)
1 原判決三三頁四行目冒頭から六行目の「検討すべきものとしている。」までを「監獄法施行規則は、拘禁の目的に反し又は監獄の規律を害する物の差入れを禁止し(一四二条)、差し入れることのできる物品の種類を定めた上(一四三条、一四四条)、差入許否の判断をするについて、個々の差入物自体を検査すべき旨を定めている(一四七条)。」と改める。
2 原判決三六頁五行目末尾の次に行を改めて次のように加える。
「控訴人は、差入屋による食事又は新聞等の差入れの場合にみられるように、差入許可と現実の在監者への差入れという事実行為とは別であり、一旦差入許可がされた以上、事実行為としての差入れは自由にできると主張するが、差入屋の場合は、その信用性を確認した上で定型的な差入物につき予め許可するものであり、本件のように一般の外部の者が物品を差し入れる場合とは異なるから、控訴人の主張は理由がない。
また、控訴人は、本件差入れに係る現金一〇〇〇円が、被控訴人所長に平成一一年一月二一日返送され、現在被控訴人所長がこれを占有しているので、本件差入許可取消処分の取消しを求める訴えの利益がある旨主張する。
しかしながら、益永陽子が同日現金一〇〇〇円を被控訴人所長に返送したとしても、これは再度の差入れであって、控訴人の主張は採用できない。」
3 同三七頁一一行目冒頭から同四三頁二行目末尾までを次のとおり改める。
「財産権が侵害されたとして慰藉料を請求するためには、その財産が単なる経済的価値を有するだけでなく、被害者にとり特別の精神的価値を有し、侵害行為により、単に経済的損害を受けただけでなく、更にこれを金銭で慰藉すべき程度の精神的な苦痛を被ったことを要する。そして、その精神的苦痛の有無及び程度は、社会の合理的な一般人が、その立場におかれた場合を基準に判断すべきである。
控訴人は、本件差入れに係る現金一〇〇〇円を使用できなかったことにより精神的苦痛を受けたと言うが、これは単に経済的損害に通常伴う感情に過ぎず、経済的損害と同一視すべきものであって、慰藉料の対象となる損害ではない。
次に、控訴人は、本件差入れに係る現金一〇〇〇円及び本件封筒は、控訴人にとり、益永陽子の愛情や尊敬の表現であり、これを得られなかったことにより、特別に重大な精神的苦痛を被ったというが、控訴人が死刑確定者として収容されていることを考慮しても、社会の合理的な一般人の基準からみて、これは単に同女の好意による本件差入物を取得できなかったことに対する不満感に過ぎず、精神的苦痛はないか、またはこれを金銭賠償で慰藉すべき程度の精神的苦痛ではないというべきである。」
4 同四三頁三行目の「4」を「2」と、四四頁六行目の「5」を「3」とそれぞれ改める。
5 同四四頁二行目の「認められないことは、」を「認められないし、本件差入れに係る現金一〇〇〇円を使用して得ることができる精神的利益を剥奪されたことによる損害も認められないことは、」と改める。
6 同四四頁四行目の「原告に」を「控訴人に損害賠償により慰藉すべき」と改める。
7 同四四頁五行目末尾の次に行を改めて次のように加える。
「なお、控訴人は、本件差入許可取消処分の取消訴訟を提起し、追行することについてこれを弁護士に依頼した場合の費用相当額の損害を受けた旨主張するようであるが、控訴人が弁護士に右訴訟を依頼していないので、弁護士費用相当額の負担を余儀なくされ、その費用相当額の損害を受けたとは認められない上、右訴訟が不適法な訴えであることは、既に判示したとおりであるので、右訴訟の費用相当額が被控訴人国の填補すべき損害に当たると解することもできないので、控訴人の右主張は採用できない。
そして、その他、控訴人に損害賠償により慰藉すべき損害が生じたとは認められない。」
二 以上によれば、控訴人の本件訴えのうち、被控訴人所長に対する訴えは不適法であり、被控訴人国に対する訴えに係る請求は理由がないので、被控訴人所長に対する訴えを却下し、被控訴人国に対する訴えに係る請求を棄却した原判決は相当であるので、本件控訴をいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六七条、六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 谷澤忠弘 一宮和夫 大竹たかし)
(参考)第一審(東京地裁平成九年(行ウ)第一〇九号 平成一〇年一〇月三〇日判決)
主文
一 原告の被告東京拘置所長に対する本件訴えを却下する。
二 原告の被告国に対する請求を棄却する。
三 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 被告東京拘置所長が、平成九年四月八日、益永陽子から原告に対する現金一〇〇〇円の郵送差入れについてした差入許可取消処分を取り消す。
二 被告国は、原告に対し、五万円及びこれに対する平成九年四月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、死刑確定者として東京拘置所に収容されている原告が、被告東京拘置所長(以下「被告所長」という。)において、原告の姉から原告に対して郵送で差し入れられた現金一〇〇〇円につき、いったんその差入れを許可しておきながら、右差入許可を取り消す旨の処分を行い、右現金一〇〇〇円を差入者に返戻したとして、差入許可の取消処分の取消しを求めるとともに、被告国に対し、右差入許可を取り消し、現金一〇〇〇円を差入者に返戻した被告所長の一連の行為によって、精神的損害を被ったとして、国家賠償法一条に基づき、慰謝料五万円と不法行為の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めた事案である。
一 争いのない事実等
1 当事者等<証拠略>
(一) 原告は、殺人、爆発物取締罰則違反等被告事件について死刑判決の宣告を受け、昭和六二年四月二七日以降、死刑確定者として東京拘置所に収容されているものである。
(二) 益永陽子(以下「陽子」という。)は、原告が養子縁組をした養母益永スミコの実子で、原告の姉に当たるが、昭和六二年五月六日付けの原告からの外部交通許可申請に対し、被告所長において、原告との外部交通を原則として認めない相手方としているものである。
2 東京拘置所における郵送差入れに係る現金の取扱い<証拠略>
(一) 東京拘置所に差入れのために現金が郵送されてきた場合、領置窓口担当職員(以下「窓口職員」という。)は、差し入れられた現金書留封筒につき、受取人である被収容者の在監の有無及び差出人が当該被収容者と外部交通が許可されている者であるか否かを確認した上、差出人が当該被収容者と外部交通が許可されている者である場合には、封筒の裏面上部に金額及び通信文の有無を記入するためのゴム印を押印し、差入人に代わって作成することとされている「差入願(現金)」と題する書面(以下「差入願せん」という。)を作成し、現金書留封筒及び差入願せんを被収容者の保管金の出納保管を行う歳入歳出外現金出納官吏である会計課長補佐に提出し、同補佐において、現金の保管手続をとる。この場合、個別的な被告所長の決裁手続は経ないこととされている。
(二) これに対し、差出人が当該被収容者との外部交通を許可されていない者である場合には、窓口職員は、差入願せんを作成することなく、直ちに会計課長補佐に現金書留封筒を提出し、同補佐において、外部交通係に右封筒を送付し、外部交通係において、差入れの許否について、原則として被告所長までの部内決裁に回すことによって、個別に差入れの許否を決定している。
(三) 当該被収容者に対する差入れが許可される場合には、当該被収容者の舎房の担当者において、当該被収容者に対し、差入願せんを提示し、それに指印を徴することにより、差入許可を告知し、右差入願せんの提示の際に、現金書留封筒を当該被収容者に交付するが、現金については、保管手続がとられるため、当該被収容者に交付されることはない。
3 陽子から原告に対する現金一〇〇〇円の郵送差入れとその後の経緯<証拠略>
(一) 平成九年四月四日、陽子から原告宛に、現金書留封筒(以下「本件封筒」という。)による郵送差入れ(以下「本件差入れ」という。)がされ、窓口職員は、本件封筒の裏面上部に金額、通信文等のゴム印を押印し、差出人を陽子とする差入願せん(<証拠略>。以下「本件差入願せん」という。)を作成して、会計課長補佐に提出した。
会計課長補佐は、本件封筒を開封し、在中現金一〇〇〇円を確認し、右現金を、所定の手続を経て、原告の領置金に繰り入れて保管した。なお、本件封筒には現金一〇〇〇円のみ在中しており、通信文等は在中していなかった。
(二) 平成九年四月七日、原告が収容されている舎房の担当者は、本件差入願せん及び本件封筒が回付されてきたため、本件差入願せんに原告から本件差入れを了承した旨の指印を徴した上、本件封筒を原告に交付した。
同日、原告が収容されている舎房を監督する第三区長上席統括処遇官浦寛美(以下「浦区長」という。)が、原告に対し、本件封筒が誤って原告に交付されたものであると説明して、本件封筒を返戻するよう指導したが、原告は、本件封筒の返戻を拒否した。
翌八日、浦区長が再度原告に対して、本件封筒の返戻を求めたところ、原告が、浦区長に対して、本件差入れに対する許可の存在を確認するとともに、浦区長の返戻指示が本件差入れに対する許可の撤回に当たることの確認を求めたところ、浦区長は、原告に対し、本件差入れに対する許可は存在しておらず、許可がないものを間違って交付したものである旨告げて本件封筒の返戻を指示し、原告は右指示に従って本件封筒を浦区長に提出した。
(三) 平成九年四月一〇日、原告の領置金から一〇〇〇円が「雑支払」として払い出され、本件封筒及び差入物品返戻通知書とともに、陽子宛に返戻された。
二 争点及び当事者の主張
1 本件差入れについて被告所長がした差入許可取消処分の取消しを求める訴えの適法性
(一) 本件差入れに係る差入許可取消処分の存否
(被告ら)
東京拘置所における郵送差入れに係る現金の取扱いは前記のとおりであり、外部交通が許可されていない者からの差入れにつき、それを許可する権限は被告所長のみが有しており、その権限を窓口職員や会計課長補佐に委任する旨の法令及び内部規定上の根拠は存しないところ、本件差入れは、本来であれば、被収容者との外部交通が許可されていない者からの差入れとして、処遇部長又は被告所長によって個別に差入れの許否が決定されるべきものであったにもかかわらず、処遇部長又は被告所長による右許否の判断を経ることなく、あたかも被収容者との外部交通が許可された者からの差入れがあった場合と同一の事務処理がされてしまったものであり、被告所長の行政庁としての意思決定は何ら行われておらず、本件差入れに係る許可処分なるものを観念することはできないのであって、被告所長による本件差入れに係る差入許可取消処分は不存在であるから、そのような存在しない差入許可処分の取消処分も存在せず、その取消しを求める原告の被告所長に対する本件訴えは、対象たる行政処分を欠き不適法というべきである。
(原告)
被告所長による被収容者との外部交通を許可された者と許可されていない者の区別は、行政処分としてされるものではなく、被告所長の方針をあらかじめ原告に告知したという性質を有するにすぎないものであるから、東京拘置所の職員が死刑確定者への個別の差入申請について、被告所長に決裁を上げることなく、そのまま差入手続を進めることが被告所長の方針に沿う行為であると判断して、被告所長に決裁を上げずに当該差入れを許す手続を進める場合、その行為は、当該職員が、東京拘置所という行政組織の構成員として、被告所長の名で差入許可の行政処分をする行為にほかならず、そのような取扱いを被告所長が現に職員に行わせているということは、死刑確定者への個別具体的な差入申請について、被告所長が部下職員に許可の権限を委ねていることを意味する。そして、当該職員がした事務処理が、被告所長があらかじめ職員に示した方針に合致しないものであることが後に判明したとしても、そのこと自体は、被告所長の名で既に外部に表示された差入許可処分の意思の効力を何ら左右するものではないというべきである。
本件差入れについては、会計課長補佐は、少なくとも被告所長により被収容者との外部交通を一般的に許可された者からの死刑確定者への現金差入れを被告所長名で許可する権限を有しており、その権限の行使として本件差入れの許可を行ったのであって、原告に対する表示行為にも欠けるところがないから、本件差入れに係る許可処分の成立自体を否定することはできないものというべきである。そして、右許可処分がされる過程において、会計課長補佐に内部的権限の逸脱があったとしても、それは右許可処分の無効原因にも取消原因にもならないものというべきである。
(二) 本件差入れについて差入許可取消処分の取消しを求める訴えの利益の有無
(被告ら)
本件差入れの対象物である現金一〇〇〇円及び本件封筒は、既に、差入人である陽子に返戻されており、東京拘置所内には保管されていないから、仮に、本件差入れに係る差入許可処分の取消処分が存在し、それが判決により取り消されたとしても、陽子に返戻した現金一〇〇〇円及び本件封筒を原告に交付等することはできない。仮に、陽子が再び現金一〇〇〇円及び本件封筒を差し入れたとしても、新たに差し入れられた現金等についての許否に関する処分は別個の処分であって、右取消判決はそのような別個の処分である再度の差入れの許否に関する処分についての判断を拘束しないから、原告が本件差入れについて被告所長がした差入許可取消処分の取消しを求める訴えの利益は存しないものというべきである。
(原告)
本件差入れに係る許可処分の取消処分が確定判決により取り消されたならば、浦区長が本件封筒の提出を原告に指示した行為の法律効果と被告所長が差入物品返戻通知書を添えて本件封筒と現金一〇〇〇円を陽子に返戻した行為の法律効果はともに消滅し、原告への本件封筒と現金一〇〇〇円の差入れが許可された法律状態が回復する。ところで、監獄法五三条による差入許可処分とは、外部の者との間の物品の授受の一般的禁止を被告所長の意思表示により特定の場合に解除するものであり、その効力発生のために差入物品の占有を差入人から被告所長に移転する事実行為を必要としない。そうだとすれば、確定判決により差入許可処分の効力が回復した状態で、陽子が被告所長宛に本件封筒と現金一〇〇〇円を送付すれば原告の権利は回復されるのである(右送付は、右許可処分の対象物品の占有を再び被告所長に移転し、原状を回復するための事実行為にすぎず、新たな差入申請には当たらないというべきである。)。そして、差入許可処分が有効に存在している以上、再送付された金額が本件差入れの金額と同額であれば、これを直ちに原告の領置金に繰り入れることの法律上の障害は存在せず、再送付された封筒が本件封筒と同一であれば、これを直ちに原告に交付することの法律上の障害も存在しない。したがって、原告が本件差入れについて被告所長がした差入許可取消処分の取消しを求める訴えの利益は存在する。
2 本件差入れに係る差入許可取消処分の違法性の有無
(原告)
本件差入れの許可処分に、被告所長の内心と外部に表示された内容の不一致があったとしても、錯誤による行政処分を取り消すことができるのは、当該錯誤による行政処分が違法の内容を持つ場合に限られるところ、被告所長は、裁量により本件差入れを許可することが法律上可能な立場にあるから、本件差入れの許可処分の内容に違法があるとはいえない。したがって、本件差入れの許可処分は取り消し得べき行政処分に当たらないから、その取消処分は違法である。
(被告ら)
仮に、本件差入れに係る差入許可処分が存在するとしても、拘禁目的の達成という重要な公益の目的の達成のため、被告所長の合理的な裁量の範囲内にある限り、差入許可処分を撤回することができるものというべきであるところ、後記3の被告ら主張記載の点に照らせば、本件差入れに係る許可処分の取消処分は、その必要があり、被告所長の合理的な裁量の範囲内にあるのであるから、違法性は存しない。
3 原告の国家賠償請求権の存否
(一) 本件差入れに係る本件封筒及び現金一〇〇〇円を陽子に返戻した行為の違法性の有無
(原告)
(1) 前記2記載のとおり、被告所長がした本件差入れに係る差入許可取消処分は違法であり、そのような違法な本件差入れに係る差入許可取消処分に基づきなされた本件差入れに係る本件封筒及び現金一〇〇〇円を陽子に返戻した行為は違法である。
(2) 仮に、被告らが主張するように本件差入れに係る許可処分自体が存在しないとしても、本件差入れに係る許可処分の外形を伴う一連の行為は、本件差入れの事務処理に関与した東京拘置所職員の過失とその職員を指揮監督すべき立場にある被告所長の過失とが重なり合って行われたものであり、本件差入れに係る本件封筒及び現金一〇〇〇円を陽子に返戻した行為は、そのようにして本件差入れに係る許可処分の外形を作出した上で、十分な説明もなくされたものであって、違法に原告に対して精神的苦痛を与えるものである。
(被告ら)
死刑確定者の外部交通については、拘置所の規律及び秩序の維持の観点のほか、死刑確定者を厳格に社会から隔離した上、その刑の執行までの間の逃亡、自殺等を防止し、拘禁を確保するとともに、その拘禁目的の特殊性から心情の安定にも格段の配慮が求められることから、東京拘置所では、原則として外部交通を許可する取扱いをする場合の一般的取扱基準を設け、死刑確定者から外部交通を図りたいとして事前に申請のあった者について、右基準に基づき、その許否の一般的方針を定めた上、具体的な外部交通につきその都度、その許否を判断しているところであるが、本件差入れの差入人である陽子は、一般的に外部交通を許可しない方針とされている者であり、東京拘置所の取扱いに従えば、本件差入れが不許可となるべきものであったことは明らかである。したがって、本件差入れについては、原告に対して、既に陽子からの本件差入れを許可する旨が告知され、本件封筒が交付されているが、本来許可されるべきでないものが誤って行われた以上、本件封筒を原告の手元に所持させておくとともに、東京拘置所において誤って保管した現金一〇〇〇円を保管し続ける理由は見いだし難い。
のみならず、本件封筒を回収せずに原告に所持させ続けることは、原告に対し、本来許可されるべきものではない原告と陽子との外部交通を東京拘置所が容認したかのように受け取られかねないものであり、一般に外部交通を許可しない方針である者との外部交通を許可しないとする取扱いの趣旨を没却することとなりかねない。また、仮に、本件差入れに限り、誤って交付した本件封筒の所持を容認する特別の取扱いをした場合には、原告又は陽子が、機関誌等を通じて、右特別の取扱いを東京拘置所が許可したものであるとして他の被収容者等に伝播させることは容易に推測できるところであり、そうすると、原告及び本件差入れの取扱いを知った他の被収容者等は、それが死刑確定者である場合には心情の安定を害するおそれがあるほか、今後、本件差入れと同様の差入れに対して、被告所長が不許可とする判断をしたときには、それを不平・不満として利用し、東京拘置所の規律及び秩序の維持を混乱させることを目的とした活動を行う可能性が極めて大きい。
以上によれば、原告から本件封筒を提出させるとともに、東京拘置所で保管していた現金一〇〇〇円と合わせて陽子に返戻したことは、その必要があり、被告所長の裁量の範囲内にあり、違法性は存しない。
(二) 原告が被った精神的損害の有無
(原告)
死刑確定後、外部との交通を極限まで遮断され、一〇年間にわたり陽子との交通を一切禁止されてきた原告にとって、本件差入れは、額面どおりの金銭を使用することで得られる精神的利益のほかに、原告に対する陽子の変わらぬ愛情や尊敬の表現を受け取り、幸福や誇りを感ずるという重要な精神的利益をもたらすものである。被告所長の本件差入れに係る本件封筒及び現金一〇〇〇円を陽子に返戻した行為は、そのような原告の精神的利益の享受を妨げるものであり、また、死刑確定者として残り少ない貴重な時間を本件訴え提起のために大幅に奪われるという精神的苦痛を原告に与えるものであって、それによる原告の精神的苦痛に対する慰謝料は五万円を下回るものではない。
(被告ら)
本件差入れに係る本件封筒を陽子に返戻した行為は、もともと原告が所持することのできない本件封筒を誤って交付したことについて、その返戻を求めたにすぎないものであるから、原告には何ら損害は発生していないというべきである。仮に、原告が手元に本件封筒を置いておくことに「喜び」を感じていたとしても、「喜び」は個人の内心の感情であり、それが害されたとして、国家賠償法による賠償の対象となるような精神的損害を被ったといえるためには、その感情が法的な保護に値するようなものでなくてはならない。しかし、本件差入れは、原告に対する精神的な支援をすることがその中心的目的であるというべきところ、死刑確定者が支援者等からの金銭等の差入れに込められた支援の意思に触れることは、同人が支援者等とのつながりを心の支えとして、対監獄闘争を増長させるなど、心情に影響を受け、拘置所内の規律及び秩序の維持に支障を及ぼすなど処遇上害を及ぼすおそれがあるのであり、特に、原告については、その対監獄闘争の実態等に照らせば、このようなおそれが極めて大きいのであるから、陽子からの支援を実感することは、監獄管理上支障を生じるおそれがあるものとして法によって保護されているとはいえないのであって、その感情は国家賠償法上保護に値する法的権利ないし法的利益とはいえない。したがって、原告が本件差入れに関し、その感情を害されたとしても、それをもって国家賠償法による賠償の対象となる精神的損害が発生したということはできない。
三 証拠
証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであるから、これを引用する。
第三争点に対する判断
一 本件差入れについて被告所長がした差入許可取消処分の取消しを求める訴えの適法性(争点1)について
1 監獄法五三条一項は、在監者への差入れについて、差入人の求めにより、その許否を定めることとし、また、監獄法施行規則一四二条ないし一四七条も、差入れの許否の判断に当たり、個々の差入物の性状、種類あるいは個々の差入人について検討すべきものとしている。そうすると、監獄法五三条一項の予定する差入れの許否は、差入人の求めに係る各個の差入物ごとにされる処分であると解すべきであり、特定の差入人のする特定の種類の差入物について包括的に差入れを許可すること(一般的禁止を包括的に解除すること)が許されるか否かはさておき、前記のような東京拘置所における差入れに係る許否の手続及び本件の事実経過に照らせば、東京拘置所における差入れの許否も差入人の求めに係る各個の差入物ごとにされる処分と解すべきものである。
そうすると、本件差入れにつき東京拘置所のとった措置は、これを処分と解することができるとしても、本件差入れに対する個別具体的な措置であったことは明らかというべきである。
ところで、本件差入れの対象物である現金一〇〇〇円及び本件封筒が、既に、差入人である陽子に返戻されており、東京拘置所内には保管されていないことは前記のとおりであるから、仮に、本件差入れに係る差入許可処分の取消処分が存在し、それが判決により取り消されたとしても、右判決の効力として、陽子に返戻された現金一〇〇〇円及び本件封筒が当然に原告の手元に回復されるというものではなく、改めて、陽子からの再度の差入れという形式を踏まなければ、それらを原告の手元に戻すことはできないところ、右陽子からの再度の差入れについて、被告所長としては、あくまでも、右再度の差入時点における具体的判断によりその許否を決すべきものであり、右許否に関する被告所長の処分は本件差入れに係る処分とは別個の処分であって、右取消判決はそのような別個の処分である再度の差入れの許否に関する処分についての判断をも拘束するものではないから、原告が本件差入れについて被告所長がしたとする差入許可取消処分の取消しを求める訴えの利益は存しないものというべきである。
2 したがって、本件差入れについて被告所長がした差入許可取消処分の存否(争点1(一))につき検討するまでもなく、原告の被告所長に対する本件差入れについて被告所長がした差入許可取消処分の取消しを求める本件訴えは不適法な訴えというべきである。
二 原告が被った精神的損害の有無(争点3(二))について
1 原告に対して、いったん本件差入れがなされた旨が告げられ、差入れが許可された場合の所定の手続を経た上、本件差入れに係る現金一〇〇〇円が原告の領置金に繰り入れられたこと、しかし、被告所長によって本件封筒及び原告の領置金中の現金一〇〇〇円が陽子に返戻されたことは、前記のとおりである。本件において原告が主張する損害は、右返戻行為により原告が被った精神的損害をいうものである。
そこで、まず、原告が被ったと主張する精神的損害について検討する。
2 まず、原告は、本件差入れに係る現金一〇〇〇円を使用して得ることができる精神的利益を剥奪されたことによる損害を主張する。
しかし、本件差入れは陽子から原告に対する贈与の履行の性質を有し、被告所長が原告の領置金中の現金一〇〇〇円を陽子に返戻したことによって右贈与の効力が左右されるものではないのであり、本件全証拠によっても被告所長の右行為により、当時、原告が既に有した領置金から一〇〇〇円を費消することが妨げられたとの事実を認めることはできず、仮に、東京拘置所における購買力の増加(領置金の増加)という期待が侵害されたとしても、原告の生活における物品購入の必要性及び緊急性、本件差入れに係る現金の金額に照らして、右期待が否定されたことをもって具体的な損害と評することは困難である。
3 次に、原告は、本件差入れが、原告にとって、原告に対する陽子の変わらぬ愛情や尊敬の表現を受け取り、幸福や誇りを感ずるという重要な精神的利益をもたらすものであるところ、被告所長による本件差入れに係る本件封筒及び現金一〇〇〇円の陽子への返戻行為により、そのような精神的利益の享受を妨げられたと主張する。
ところで、陽子が被告所長により原告との外部交通を一般的に許可しない者とされていること(原告は、この方針の適法性を争うものではない。)及び本件差入れに係る金額が親族からの経済援助としては低額に過ぎる一〇〇〇円という金額であることに照らせば、本件差入れにより原告が受け、本件差入れを撤回する措置により剥奪された原告の精神的利益とは、一般的に外部交通を許可しないとされている陽子が、差入れという方法をもって、原告に対して有する好意的感情を原告に具体的に伝達したという事実により、原告が受ける幸福感等の積極的感情による利益ということができる。そうすると、原告は、本件差入れがされたという事実を了知することにより原告の主張する「精神的利益」を享受したものということができ、本件に即してみれば、陽子からの郵送による差入行為、本件差入願せんへの署名による本件差入れがされた旨の告知により、原告は右精神的利益を享受したものというべきである。
そして、その後の被告所長の措置によっても、陽子が差入れという方法をもって原告に対して有する好意的感情を伝達したという事実は否定されていないのである。すなわち、本件差入れに係る現金は原告の領置金への繰入れにより特定性を失っているから、領置金中から本件差入れに係る現金の金額に相当する金銭が陽子に送付されたことにより、購買力の増加への期待が奪われたとしても、原告が享受した右精神的利益が害されるものでない。また、現金書留封筒は現金を送付する手段であり、本件封筒がいったん原告に交付されたのも現金の差入れがされた事実を明らかにするためであるから、これが原告に交付され、原告が本件差入れの事実を了知することによって、本件封筒も原告の精神的利益の享受のための目的を終了しているというべきであり、陽子から送付された本件封筒を所持すること自体が、陽子の原告に対する激励等を示す非言語的メッセージとして原告に積極的感情を生じさせるものであるとしても、それは現金の差入れに付随する事実上の利益にすぎず、損害賠償をもって保護すべき利益ということは困難であるというべきである。
4 原告は、その被った精神的損害として、東京拘置所に収容されている死刑確定者という立場にありながら、本件訴えを提起、追行しなければならないことに起因する損害も含まれる旨主張する。
しかし、本件訴えのうち、被告所長に対する訴えが訴えの利益を欠き、不適法であること、また、被告国に対する国家賠償請求の中心部分である「原告に対する陽子の変わらぬ愛情や尊敬の表現を受け取り、幸福や誇りを感ずるという重要な精神的利益」の侵害を理由とする慰謝料請求については、原告にそのような精神的損害が生じているとは認められないことは、既に説示したとおりであるから、そのような本件訴えを提起、追行することをもって、原告に精神的損害が生じていると認めることもできないものというべきである。
5 したがって、原告に被告所長による本件差入れに係る本件封筒及び現金一〇〇〇円の陽子への返戻行為による精神的損害が生じているとは認められないものというべきである。
三 以上によれば、その余の争点につき検討するまでもなく、原告の被告国に対する本訴請求は、理由がないものというべきである。
第四結論
以上の次第であるから、原告の本件訴えのうち、被告所長に対する訴えは不適法というべきであるからこれを却下し、被告国に対する訴えに係る本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 富越和厚 團藤丈士 水谷里枝子)